戦国時代のこと、広瀬の城主三宅右衛門高信に大学という息子がいた。彼は三宅道満と自らを名乗り、花本に住んでいた。そのうち、人を傷つけたり殺したりしたため、ついに捕らえられて斬首の刑に処せられた。住民は今まで苦しめられてきたにもかかわらず彼を哀れんで、その首は花本の墓地に、胴体は下古屋の地に祠を作って葬った、と言い伝えがある。令和2年に現在の位置に移転し、毎年12月に供養祭が行われている

下古屋自治区の道満さんのページ

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