古くは古城の跡と伝えられ、お鍬社を祀り神聖な山と崇められたと聞く。時世は上り明治末期、お鍬山全体に八十八の祠を造り、弘法さんの石仏を安置した。麓には本堂も造られ大弘法の像を祀った。祭りの日には、境内で甘酒がふるまわれたり、子供相撲や芝居が行われ、近郷近在の人たちで賑わった。第2次大戦中には斜面に多数の防空壕が掘られ倉庫として利用されていた。昭和38年に所有者が外部の人に代わったため、下古屋の弘法さんは延命寺に、天道のものは観音堂に移された。平成13年、荒れ放題になっていたお鍬山の整備を、下古屋自治区でまちづくり活動として開始。散策路の整備、花木の植樹、ベンチの設置等、今では地元の里山として、憩いの場として使われている。

下古屋自治区のお鍬山のページ

MAP