御船城は現在の御船町島田三十四番地に位置し、御船川を外堀として利用し築城された平城で、土塁・堀・井戸跡が残っていた。応仁の乱に際して戦功のあった児島右京亮義明が、その戦功により御船・亀首・加納の荘園を領し、文明2年(1470年)に築城したと伝えられている。その後、永禄7年(1564年)の秋、尾参の乱で賊のために城郭は焼かれ、時の城主児島義高は戦死し、その子義光は僧となり千鳥寺第5世住職となった。その後住職は老後、御船町に草庵を建てここに隠棲し、円通庵庚申堂(桂林寺)とした。

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